NO.138.ダヴィットが描いた「ナポレオンの戴冠式」

私が20代の頃、画家になりたくて留学していた時代、感銘を受けた作品が幾つかあるが
その中でもダビット作の≪ナポレオンの戴冠式≫は、心に残る作品の一つである。
ベルサイユ宮殿の歴史のなかでも多大なる影響をあたえた異彩を放つナポレオン1世の
面影が見れる作品「ナポレオンの戴冠式」がそれだ。
同名の絵画が、ルーブル美術館に所蔵されているが いずれもダビットの真作であり、
ルーブルの作品は、ナポレオンに献上され、ヴェルサイユにあるものはナポレオンに
心酔していたダヴィットが手元に置くために描いたものとされている。

フランス新古典主義時代最大のダヴィッドの傑作『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの
戴冠式』 629×926cmとルーヴル美術館でも最大級の大きさとなるこの本作
は、
1804年12月2日に行なわれたナポレオンの戴冠式を描いたものである。


本場面は実際の式の様子より脚色され描かれている。
当初の構図では皇帝ナポレオンが自身で戴冠する姿で描かれる予定であったが、
ダヴィッドが皇帝は自身にではなく妻ジョゼフィーヌに戴冠する姿に、半ば強制的に
出席させられた教皇は、両手を膝の上に置くのではなく、皇帝の正当性、ローマ教皇が祝福し
賛同していることを表現する為に、聖母マリアの受胎を祝福する天使のポーズと同じ手の
仕草に変更された。
これによって皇帝ナポレオンが、皇帝より権威のある教皇に背を向け、妻ジョゼフィーヌに
戴冠することで、画家は絵の中の主人公が誰であるかを明確した。
このように実際より、さらに劇的に変更され描かれた本作の出来の素晴らしさを
皇帝ナポレオンは賞賛したと伝えられている。
なお本来ならば、もう少し年配であったジョゼフィーヌは、美しさと初々しさを演出するために、
ダヴィッドの娘をモデルにし描かれたとされている。

 
ただこの2つの作品には、相違点がある。
ナポレオンに冠を授けられる妃ジョセフィーヌを背後で見守る数人の白い装束の貴婦人達の
一人が、ベルサイユの作品では、赤い(ピンク)衣装をまとっている。
この女性はダヴィットの恋人を描いたものだとか・・・

ベルサイユで、この絵を見ている周りの人達は、この絵はルーブルにある絵のコピーでしかない、
と思い、何気なく通り過ぎていってしまうかも知れない。
そんな中、私だけが、感動して、この絵の前でしばらく自己満足に浸り眺めている・・・。

ダヴィットは、ナポレオン失脚後、ブリュッセルに亡命し、再三帰国の機会が有ったにも
かかわらず それを無視し同地にて客死している。
こうしてみてみると、どうしてもベルサイユ宮殿とルーブル美術館の「ナポレオンの戴冠式」を
見てみたい衝動に惹かれるのでは・・・
パリを訪問したら TOMMYお薦めのダヴィットの作品を見学してみては、いかが・・・!
ダビット作 ≪ナポレオンの戴冠式≫
この場面は、実際の式の様子よりかなり脚色され描かれている。
ナポレオンは彼自身が妻ジョゼフィーヌに戴冠する姿に、半ば強制的に出席させられた教皇は、
両手を膝の上に置くのではなく、皇帝の正当性、ローマ教皇が祝福し賛同していることを表現する為に、聖母マリアの受胎を祝福する天使のポーズと同じ手の仕草に変更された。


【実際とは異なる式の様子】

皇帝より権威のある教皇に背を向け、ナポレオン自身が妻ジョゼフィーヌに戴冠することで、
画家は絵の中の主人公が誰であるかを明確した。本来ならばもう少し年配であった
ジョゼフィーヌは、美しさと初々しさを演出するために、ダヴィッドの娘をモデルにし描かれた。
皇帝より権威のある教皇に背を向け、ナポレオン自身が妻ジョゼフィーヌに戴冠することで、
画家は絵の中の主人公が誰であるかを明確した。
本来ならばもう少し年配であったジョゼフィーヌは、美しさと初々しさを演出するために、
ダヴィッドの娘をモデルにし描かれたそうだ。
  


ジャック・ルイ・ダヴィト  David, Jacques Louis
1748年08月30日~1825年12月29日
フランスの画家。新古典派の巨匠。歴史的・社会的題材を時代精神と
ともに写実的に描いた。
1748年鉄材商の子としてパリに生まれる。
ダヴィドが
9歳のとき父が決闘で死亡したため、親戚の画家ブーシェに
育てられた。
ブーシェの知人のヴィアンに絵を学び、
2度の落選を経て
1774年「アンティオコスとストラトニケ」でローマ大賞を受賞。
イタリアに留学し、古典絵画の研究に没頭した。
帰国後、「ホラティウスの誓い」で注目を集める。
フランス革命が起きるとジャコバン党員として国会議員になり、
「マラーの死」など革命に殉じた闘士の肖像画を描いた。
ロベスピエールの失脚の際に連座してリュクサンブール宮に
一時幽閉され、政治の世界から距離を置く。
だがナポレオン時代に入るとナポレオンの熱烈な賛美者となり、
帝政時代には主席宮廷画家として活躍した。
ナポレオン失脚後はブリュッセルに亡命、その地で生涯を閉じた。

代表作は他に「ナポレオンの戴冠式」など。弟子にはアングル、
グロなどがいる。