歴史の旅 真実とロマンを求めて…秋晴れの日に、日帰りで「唐津」を巡る!

歴史の旅 真実とロマンを求めて・・・                                                       A journey through Japanese History   In search of truth and romance・・・
秋晴れの日に、日帰りで「唐津」を巡る…

唐津は、面白い町である。
歴史と文化が入交り、北は、大海原玄界灘の大自然をバックに広がり
唐津湾には松浦川が注ぐ。
北西部の海岸はリアス式海岸で出入りに富み、東に背振山地を、                                     西に虹ノ松原を望む大景勝地である。
その地理的特徴からこの地域は古代から大陸方面の海上交通の拠点となった。
末盧国(松浦)の中の「唐津」の名が出てくるのは、1449年(文安6年)                                 
唐津神社の寄進状に唐津大明神との記述が最古の史料であり、                                   
歴史的には、豊臣秀吉1591年(天正19年)朝鮮出兵の拠点として                                              名護屋城を築城し、1593年(文禄2年)寺沢広高が、唐津藩を与えられ、                                        上松浦地方の統治を始めたころからが歴史物語的には面白い!
1600年の関ケ原の戦いで東軍についた、寺沢広高は、肥後国天草4万石を                                          加増され12万3千石の外様大名として1602年唐津城を7年かけて築城、                                    併せて松浦川の治水工事や松原の保護育成「虹ノ松原」、捕鯨、茶の湯、                                      唐津焼の技法を確立させ唐津の基盤を作った優れた藩主でした。。
2代目の堅高は、島原の乱一揆で天草富岡城の責任を取らさせられ、                                       改易となり天領となる。
その後、城主は、大久保、松平、土井、水野忠邦(天保の改革)、小笠原                                   
へと譜代大名が入れ替わり、明治維新、廃藩置県で藩はなくなり、                                    
佐賀県の一都市となる。
  
この藩主交代の中でも天保の改革で有名な、上昇志向の強い「水野忠邦」と                                      一般的に知られていない天草の大商人「岩本平兵衛」の持ちつ持たれつの                                         金主関係は続き、水野は老中に上り詰め、天保の改革を進める。
水野の力で石本も勘定所御用達を仰せつかり、三井、住友、鴻池の                                           御用商人が占めていた特権を得る。
天保5年(1834)、幕府は平兵衛の卓越した財政手腕を認めて、                                           勘定所御用達を命じ、大名なみの待遇を与える。
平兵衛は、特に難民救済に力を尽くし、文化・天保時代の大飢饉には、                                    
天草をはじめ、長崎・江戸等の各被災地に多くの救援米や巨額の私財を                                    
送って難民に精根を注いだが、天保13年(1842)4月、石本の命運は、                                           水野の栄達に左右され、
権力との癒着を問われ、砲術家・高島秋帆と西洋兵器の輸入を                                        
もくろんだと、洋学者を嫌う鳥居耀蔵の手で                                            
逮捕される。渡辺崋山や高野長英らを弾圧した「蛮社の獄」の余勢で                                      
石本は獄死し、半年後、水野は、強権政治を非難され失脚する。                                         水野忠邦を助けてきた石本平兵の人生は、世間に知られていないことが                                 
珍しいが、二人の関係は、男ロマンを感じさせる。
古くから海上交通の拠点であった唐津は、この後さらに貿易の拠点と                                  
して急速に明治期迄、発展していく。

 

明治維新により新しい時代が始まり、唐津藩でも時代に遅れないよう
ヨーロッパの文化を取り入れるため、英語学校が設立され   
先生として18才の高橋是清(後の総理大臣)が唐津に招かれる。
辰野金吾は英語を学ぶうちに、上京して西洋の学問をもっと勉強したい
と思うようになり、工学寮(今の東京大学工学部)を目指す。                                          当時政府は、これからの日本を支えていく優秀な人材づくりに力を
注いでいて、明治6年(1873年)第1回目の生徒を募集。 
募集人員は40人で、全国各地から選ばれた秀才たち100人が受験。
19才の金吾は誰にも負けない自信をもって受験しましたが難しい問題が
多かったため、落ちたと思っていましたが40人中40番目、
ビリで合格していました。
金吾は人並みについていくには、人の2倍も3倍も努力しなければと 

少しの暇も惜しんで勉強に励み、6年間の修学期間も終わり卒業試験を
迎えました。
卒業試験の論文は「日本の将来の建築」、製図は「和洋折衷の学校建物」
でした。日ごろの努力の結果、1番の成績で卒業することができ7年ぶりに
ふるさと唐津に帰りました。
そして金吾には、工部省からイギリスへ留学するよう通知があり、

明治13年(1880年)イギリスへ渡り、建築学を学び実地研修として、
フランス、イタリアの建築物を見て回りました。                                               
帰国した金吾は工科大学(東京大学)教授になり、明治21年(1888年)
日本で初めての博士になりました。
この年、政府はヨーロッパの国に負けない中央銀行(日本銀行)の建設を

計画し、設計を金吾に依頼しました。金吾は地震にあい家が揺れ動き恐怖を
覚えた経験から地震国日本には、地震や火災に強い石やレンガの建物が
必要だと考えていました。
そのため日本銀行を建てるとき地下6メートルまで掘り下げ、その上に
厚さ3メートルの基礎を造るなど地震対策に万全を期しました。
明治29年(1896年)ヨーロッパ風ルネサンス様式の赤れんが造りの堂々たる
建物が完成します。
さらに、明治39年(1906年)東京の表玄関に日本一の東京駅を造ることに

なり金吾が設計し、赤レンガ造りの巨大な建物が誕生したのは大正3年
(1914年)でした。
明治の三大建物といわれる建物のうち日本銀行、東京駅の2つを完成させた
金吾の名声は高まり関東大震災のときも2つの建物はびくともしませんでした。
色鮮やかな赤レンガ造りのヨーロッパ風ルネサンス様式の建物を人々は、
「辰野式建物」と呼びました。
唐津には、金吾の弟子が作った赤レンガを用いた、「旧唐津銀行本店」が
今でも残っています。                                                                      1882年(明治15年)唐津港唐津炭田の石炭輸出を開始。
さらに鉄道の開通により、貿易額は日を追う毎に増大していきましたが、
第一次世界大戦の影響で外資関係が先細りとなり、1920頃をピークに
貿易額は減退し、昭和初期には石炭不況や第二次大戦の影響でさらに
衰退していきます。                                             
福岡方面への鉄道は1926(大正15年)に東唐津から博多まで全通。
北九州鉄道のバス事業は現在に至る昭和自動車に譲渡されました。
くしくも唐津は、太平洋戦争で空襲を受けなかったので昔の城下町の
面影を今でも残しています。        
1955(昭和30年)、地元財界の有力者 昭和自動車社長の金子道雄
市長に就任し、金子の計画により唐津城に模擬天守が完成。
また電力需要の増大にともない、1967(昭和42年)九州電力唐津発電所
火力発電所)1号機が運転を開始。
1971(昭和46年)には2号機がその2年後には3号機が運転を開始した。
さらに、1975(昭和50年)には九州電力玄海原子力発電所1号機
(55.9万kW)が運転を開始し、その他既設の水力発電所なども含め
東松浦地域は県内のみならず北部九州の電力供給の要となりました。
1982(昭和57年)筑肥線の電化開業 および唐津線との短絡、
福岡市地下鉄空港線との直通運転が一挙に行われ現在に至っています。
唐津は、11月初旬は、「唐津くんち」で賑わいます。
全国からお越しになるお客様を素晴らしい唐津の幸で迎えます。 

唐津と言えば、烏賊料理。昼食は、生きた新鮮な烏賊御膳を
味わって唐津を堪能していただきます。
そんな11月からの「唐津の日帰りバスの旅」を楽しんでみませんか?
  
真実とロマンを求めて巡る唐津の旅…                                                          「唐津歴史探訪」& 名物料理人気美味[烏賊御膳」
   味わう日帰りバスツアー!
是非ご参加ください! 
※Tommyが面白くわかりやすい歴史解説をします!
出発日と旅行費用: 11/11(土), 11/18(土), 11/23(祭)発限定
お1人様 12,000円
最少催行人員:20名 ガイド付き

  

詳しくは…下記 レジャープランKasane 迄ご連絡ください

レジャープランKasane 株式会社 不動九州産管理センタートラベル事業部
観光庁長官登録旅行業2131号・(一社)日本旅行業協会(JATA)正会員
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