絵画の旅「優雅な神話画の画家、フランソワ・ブーシェ」
優雅な神話画の画家、フランソワ・ブーシェ
ルーヴル美術館に行くととても奇麗なフランソワ・ブーシェの描いた神話の
絵画が幾つかあります。
フランソワ・ブーシェ(1703-1770)の華々しい生涯を思い起こし、彼の作品の
多様性と多彩さを確かめるとすると1720年代パリに滞在したヴェネティアの画家
セバスティアーノ・ルッチとジョヴァニ・アントニオ・ペレグリーニ、および
フランソワ・ルモラースから優雅で流麗な構図と、彼の成功をもたらすことになった
明るく輝かしい色彩に対する感覚を身につけたブーシェは、ルモラースのモトニ 短期間
学んだ後、版画で研きを積み、美術アカデミーの準会員となります。 1731年から、
数々の称号や役職を持ち1734年に歴史画家として正会員となり、 1735年には助教授と
なってヴェルサイユ宮殿の女王の居室のために最初の公的な 注文を受けています。
優雅な神話画
彼は生涯にわたって、女性を賛美した優雅な暗示的内容がかなり
強調された 物語の主題に強い愛着を示していました。
1734年、アカデミー入会のために タッソーの「開放されたエルサレム」から
取った文学的主題である「リナルドと アルミーダ」を描いた作品を提出しましたが、
同僚たちとは異なり、キュロスや アキレウス、イアソンを介して偉大なジャンルで
頭角をあらわすような古代の 歴史教訓的な主題をけっして描こうとはしませんでした。
女性的要素が最も重要な位置を占めるテーマを重視して、オリンポスの神々の 神話と
同一のエピソードをためらうことなく描きました。
1732年から1757年の間の作品「ウルカヌスの鍛冶場」の4点のヴァージョンがあります。
1757年の大作はゴブラン製作所によって「神々の愛」のタピスリーとするためのもの
でしたが、 ブーシェはアキレウスとの間に生まれた不義の息子アイネアスのために、
自らの魅力で夫の ウルカヌスに武器を作らせることに成功したヴィーナスの肉体に賛辞を
捧げています。 審美的規則を尊重して、彼は鍛冶場の神の赤銅色の肉体に女神の乳色の肌を
対比させ女神の美しい身体は同じような魅力を持ったモデルに基づいていて、彼はその
モデルとともに デッサンの習作を数多く手がけています。
この神話は、官能的表現を示すことが多く、神々が狙いを定めた者を誘惑するために
用いる策略を明らかにしています。
まるで演劇ででもあるかのように、ブーシェは仮装や変身に愛着を抱いてユピテルは
「エウロペの捕獲(1747)」を行うために、白い力強い雄牛の姿で現れています。
果樹園の神ヴェルトゥムヌスは、ボモナに愛人を迎えるように説得するために老婦人に
変装します。曲線的で、また装飾的なリズムの構図がもたらす物憂いげな魅力の女神
たちに慣れ親しんだブーシェは、名人技のタッチと非常に清新な色彩の助けを借りて、
神話の優雅なテーマを描き、当時の絵画を一層鮮明な官能性の方向へと導びきました。