NO.92.イギリスに行く前に見ておきたい映画《ブーリン家の姉妹》

イギリスに行く前に見ておきたい映画《ブーリン家の姉妹》
イギリス王室最大のスキャンダル王の愛を射止めるために姉妹が愛と憎しみの中でドラマは、進展する。渦巻く陰謀、疑い、憎しみ、愛、死・・・全てがここから始まる。
ストーリーは、ドラマティクでビジュアルも美しい!歴史と伝統の中で浮かび上がる姉妹の葛藤と生涯。イギリス国教会誕生やヘンリー8世の人間性!
まずは、この映画を見てロンドン塔を訪れて欲しい!



劇《ヘンリー8世》から King Henry Ⅷ
「ああ、陛下、いったい私のどこがいけなかったのでしょう?」
- ヘンリー8世の妻キャサリン、法廷で王に向かって(第2幕第4場)
≪ストーリー≫ 
場面: ロンドン、ウェストミンスター及びキンボールトン
ヘンリー王に仕える強欲で野心家の枢機卿ウルジーは、対立していたバッキンガム公を大逆罪で逮捕するよう仕向け、死刑に処す。そうする間にも王の知らないところで国民に重税を課すなどし、ウルジーに対する国民達の不満は募る一方。
ヘンリー王はウルジーの主催するパーティーで知り合った女官アン・ブリンに好意をもつ。王妃キャサリンとの離婚をそそのかすウルジー。離婚問題は裁判にまで発展し、法廷でウルジーに怒りをぶつけ王妃キャサリンは退席する。しかし離婚が成立し、王はアン・ブリンと再婚する。
ある時ウルジーの財産目録がヘンリー王のもとに間違って届いてしまい、ウルジーがひそかに資金をかき集めていたことがばれてしまう。またウルジーがヘンリー王をアン・ブリンとは違う女性と結婚させようとしていたことも明らかになり、怒ったヘンリー王は王権侮辱罪でウルジーの財産を没収。ウルジーは失脚し、病に倒れ命を落とす。
アン・ブリンの戴冠式が行われ、その後のちのエリザベス1世となる女児を出産。この出産への祝福の言葉、未来の繁栄についての予言が述べられ物語は幕を閉じる。
※コメント:
映画《ブーリン家の姉妹》は、間もなく上映されるが、劇「ヘンリー8世」の中でも判るように英国の1ページの中でクイーンエリザべス1世誕生までのドラマを紐解くことが出来る。円高に乗じて繁栄のイギリス歴史探訪をお薦めする。
 ◇参考資料
1.ヘンリ8世の6人の妃
ばら戦争を終結させてイギリスにテューダー朝を創始したヘンリ7世の跡継ぎとして即位したのがヘンリ8世である。 彼は、イギリス絶対王政の基礎を固めた王とされ、王権の拡大に努めた。彼は、その生涯に6人の王妃を次々と娶っている嫌な奴。
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 (1)カザリン
スペイン王フェルナンド5世とイザベラの子。もともと早世したヘンリ8世の兄の妃であったが、スペインとの同盟維持を望む父ヘンリ7世が、むりやり結婚させたのである。聖書は兄嫁との結婚を禁じているので、当時の教皇に特別に許可をもらって結婚にこぎつけた。このときヘンリ8世18歳、カザリンは24歳だった。
二人の間には、6人の子ができるが5人までが死産、たった一人の娘がメアリ1世(位1553~58)であった。ヘンリ8世は、王子を授からないことに、しだいに不満と焦りを募らせていった。
 (2)アン・ブーリン
ヘンリ8世は、王子を授からないのは、聖書の戒律を破って兄嫁と結婚したからではないかと考え、彼女と離婚して新しい王妃を迎えようと考えるようになった。
彼が離婚を考えた理由はもう一つある。それは、カザリンの侍女、アン・ブーリンとの出会いである。アンは、とくに美人というわけでもなく、肌は浅黒く小柄でやせっぽちだったが、きらきら輝く漆黒の瞳や、しなやかな褐色の髪、鈴を転がすような笑い声には、男をとりこにする魅力があった。
彼女と結婚するためには、カザリンとの離婚を教皇に認めさせなければならない。しかし、教皇はこれを認めなかったので、ヘンリ8世は、カンタベリ大司教にカザリンとの結婚は無効だったとの裁定を出させ、 1533年1月15日、ついにアンと結婚した。アンはすでに妊娠4ヶ月だった。 教皇は、アンとの結婚は無効だとし、ヘンリを破門した。翌1534年、新年最初の議会でヘンリ8世は、イングランド聖職会は教皇の支配から脱し、国王がそれを統治することを決めた。 そして、同年11月、ついに議会は決定的な「国家首長令」を可決した。イングランドの教会と国家への、国王の主権を再確認し、新しい国家的教会を「英国国教会」と命名し、これまで教会に属していた聖職に関する全権を国王に与えるものだった。
いわば、国王による「宗教改革」まで断行して強引に結婚したアンだったが、生まれてきた子は、女子であった。これがのちのエリザベス女王となるのだが、ヘンリにしてみれば、またしても期待を裏切られたことに大きく失望した。そして、この時点ですでに、アンとヘンリとの間で、何かが壊れていたのである。
ヘンリは、魅力的な小悪魔から口うるさい女に変貌したアンに、しだいにうんざりするようになった。人々は、彼はアンと別れて新しい愛人ジェイン ・シーモアと結婚するだろうと噂した。ヘンリは、アンを不貞の罪で陥れるというワナにかけた。アンは捕らえられ、ロンドン塔に送られた。そして、 1536年5月19日朝、ついに処刑される。 処刑台を上るアンは、やつれ果ててはいたが、涙も見せず、取り乱しもせず、むしろ処刑されるのを喜んでいるかのようだった。アンがひざまづいて、目隠しをされ、死刑執行人の刀が振り下ろされると、アンの首は跳ね上がってかごの中に落ちた。
言い伝えでは、そのときアンの唇がなおも言葉にならぬ祈りをつぶやくのを見て、見物人は愕然としたという。
 (3)ジェイン・シーモア
アン処刑の10日後、ヘンリはジェイン ・シーモアと正式に結婚し、世間を驚かせた。彼女は、ヘンリ8世に待望の男子(のちのエドワード6世)を授け、彼がもっとも愛した女性だといわれる。しかし、彼女は出産後、12日後に急死する。口さがない国民は、アンのたたりだと噂しあったという。
 (4)アン・オブ・クレーヴス
1540年に結婚。アンはドイツから嫁いできたが、このときの見合い用の肖像画(左図)は、ホルバインが描いている。
しかし、二人は愛し合うことなく、半年後に離婚している。
 (5)キャサリン・ハワード
1540年、49歳のヘンリ8世は30歳年下の、アン・ブーリンのいとこにあたる彼女と結婚。
ところが、この若き花嫁はかつての愛人とよりを戻したり、その他数々の不貞をはたらいたため、 1542年処刑される。
処刑場の引きだされる際、チャペルに逃げ込もうとして回廊で取り押さえられたが、それ以来、この回廊にはキャサリンの亡霊が出たという。
(6)キャサリン・パー
1543年結婚。サー・トマス・パーの娘。
それぞれの母親の死後、里子に出されていたメアリーとエリザベスを呼び戻してプリンセスとして教育。1547年1月28日、ヘンリ8世の死をみとる。

2.ロンドンナショナルギャラリーの見学/ハンプトンコートの見学はヘンリー8世とアンブーリン探索の旅にはお薦めです!
詳しくは、現場で体験しよう!!