NO.91.ネロとパトラッシュの故郷を訪ねて

「フランダースの犬」は美しくも悲しい貧しい生活に耐えながら画家になる夢を持ち続けたネロと忠犬パトラッシュの物語!イギリス生まれの女流作家ウィーダの名作(1871年)、アントワープとその5km先の町ホーボーケンが舞台である!

アメリカ映画や絵本、アニメで多くの方は、ご存知だが当のベルギーではあまり有名ではないらしい。アントワープのインフォメーションオフィスでは日本語で書かれた「ネロとパトラッシュの散歩道」といったパンフレットを片手にゆっくり散策することが出来る。
アントワープのインフォメーションオフィスのあるマルクト広場のりっぱな市庁舎。そうネロが作品を出品しコンクールの絵の発表が行われた場所だ。
町全体を見下ろすように建つ「ノートルダム寺院」O.L.V.Kayhedraal
ベルギー最大のゴシック建築教会だがネロが足しげく通い祭壇画「聖母昇天」の前でマリアの姿にうっとり見とれ覆いのかかった2枚の絵「十字架に掛けられるキリスト」と「十字架より降ろされるキリスト」を見ることを夢見ていた。
このルーベンスの名作は今は3枚とも幕は掛けられることなく見るものを圧倒させる迫力で祭壇を飾っている。
大寺院を出たらその周りの商店街も除いて見よう。
メルクマルクト広場やエイエルマルク広場はかって乳製品類を売っていた所でネロもパトラッシュにここまでミルクを毎日運びながら売りに来ていたにちがいない。
もうひとつ紹介したいヤコブ教会は、ルーベンスの遺体が埋葬されている教会で「聖人達に囲まれた聖母マリア」(彼の作品)がある。
この絵の中に描かれている赤い布をまとった老人に似せておじいさんの絵を描くことがネロの願い!ネロが住んでいた村は、アントワープから市電で15分程度のホーボーケン(Hobokenがモデル)からミルクを毎日運びながら売りに来ていとことになる。
物語が書かれた頃は、牧場と小麦畑が広がる豊かなのどかな農場(農村)だったが、いまや工業地化が進みネロの仲良しの粉引き小屋の娘アロアが住んでいた家(現在の風車小学校)、アントワープ観光局が作った「ネロとパトラッシュの像もひっそりと立っている。アントワープといえばルーベンス抜きでは語れない。
ウィーダも「フランダースの犬」の中でルーベンスを讃え、修復された「ルーベンスの家」は、宮廷画家、外交官としての生涯が偲ばれ王立博物館には作品が23枚収められルーベンスのコレクションでは世界一を誇っている。
ネロもルーベンスのような偉大な画家になることを夢見ていたが、おじいさんの死、借金のかたに家を追い出され、さらにコンクールでの落選・・・
生きる希望が失った死の間際、大寺院の2枚の絵がくっきりと浮かび上がり教会の床の上でネロとパトラッシュがよりそって冷たくなっていた物語・・・
ホーボーケンからアントワープの町を遠く望むことが今でも出来ますが今年の冬、もしもベルギーへ行く機会があれば「フランダースの犬」の散歩道を散策されてみては如何ですか・・・・
■Antwerpen(蘭) / Anvers(仏) / Antwerp(英)アントワープ州 州都。
15世紀後半にブルージュを追い越してフランドルの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて隆盛をきわめました。一時スペイン領となって衰えましたが、現在は活気のある臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンドの町として、そしてファッションの町として国際的に知られています。日本人にはとくに名作「フランダースの犬」の舞台の町として有名です。
■グロート・マルクト Grote Markt
アントワープの中心にある広場で、まわりを取り囲む市庁舎やギルドハウスの眺めは圧巻です。市庁舎Stadhuisは1561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物。中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水があります。ブラボーBraboとは、ブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の名で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄です。この伝説はアントウェルペンという地名の由来といわれています。

■グルン広場 Groenplaats
18世紀には墓地として利用されていましたが、現在ではまわりにホテルやカフェの立ち並ぶアントワープでもっとも活気あふれる広場です。中央には1843年に造られたルーベンスの像が立っています。大聖堂の壮麗な姿を背景とした広場の眺めはもっともアントワープらしい景観の一つです。東側面の現ヒルトンホテルのファサードは20世紀初頭のグラン・バザールのものがそのまま使われています。
■ギエットの家 Guiette huis
1925年に建てられた美術家ルネ・ギエットの邸宅で、ベルギーにあるル・コルビジェの作品としては唯一の建物です。
■中央駅 Centraal Station
1895年から1905年の世紀の変わり目に建造されたネオバロック様式の大建築で、アントワープを代表するランドマークの一つです。ガラスと鉄骨で築かれた半円筒形のホーム天蓋はベルギーを代表する近代建築の傑作の一つです。かつての一等客待合室は現在雰囲気あふれる素敵なカフェになっています。

■ズーレンボルグ・ベルヘム地区Zurenborg-Berchem
アントワープ・ベルヘム駅に近いコーヘルス・オシレイ通りを中心とする地区で、多くのアール・ヌーヴォー様式の建築物が全体的によく保存されています。まるで100年前の街中を歩いているような気分になれるベルギー有数の景観美が楽しめる住宅区です。「旧警察署」、「白亜の宮殿」、「デ・モルヘンスターの家」、「四季の館」など、どの建物も個性的な外観をもっています。
■王立美術アカデミー
Academie voor Schone Kunsten
もともとこの場所には15世紀の聖修派修道院がありましたが、19世紀からは美術アカデミーとして使用されています。かつて収蔵されていた多くの絵画作品は現在は王立美術館へ移されています。一時ファン・ゴッホが学んだことでも知られています。
■ブーラ劇場 Bourla-theatre
1830年代の初期に、在アントワープのフランス語有産階級のための劇場として建築家ピエール・ブルーノ・ブーラによって建てられました。今日では新劇団「ヘット・トネールハイス」の本拠地になっています。2階にある半円ドームを冠したカフェ「フォワイエ」ではエレガントな雰囲気を楽しみながらのティーブレイクや食事ができます。
■証券取引所 Handelsbeurs
1531年に建てられ、その後焼失した証券取引所を建築家ジョス・スカッデが1868年から1872年にかけてネオ・ゴシック様式に改築した一見寺院のような大ホールです。証券取引所として利用されなくなった後も、美術アカデミーや図書館として利用されました。現在では多目的ホールになっています
■ノートルダム大聖堂Onze-Lieve-Vrouwe kathedraal
1352年に建造が開始され、1520年に完成したネーデルラント地方最大のゴシック教会堂。47個の組鐘を蔵し、123mの高さを誇る北鐘塔は、ベルギーにただ2つしかないブラバントゴシック様式の完全な塔の一例です(もう一つはブリュッセル市庁舎)。南鐘塔は資金不足のため未完のまま断念されました。1559年からは司教座がおかれてカテドラルと呼ばれています。堂内には「キリスト降架」、「キリスト磔刑図」、「聖母被昇天」、「キリスト復活」など、ルーベンスの数々の傑作があります。名作「フランダースの犬」に登場することでも知られています。

■聖ヤコブ教会 Sint-Jacobskerk
フランボワイヤンゴシック様式の教会堂で1491年から1656年にかけて建造されました。方形の塔は未完ですが、これはもともとノートルダム大聖堂の塔よりも高く設計されていました。堂内には1643年建造のルーベンス礼拝堂があり、ルーベンスや彼の親族が埋葬されています。大画家が死の6年前(1634年)に仕上げた祭壇画には聖母子を取り囲む聖人たちが描かれていますが、聖母には第2の妻ヘレナ・フルマンの面影が、聖ゲオルクにはルーベンス本人の面影があるといわれています。
■聖パウロ教会 Sint-Pauluskerk
1517年から1571年にかけて建造された後期ゴシック様式の教会堂。もともとはドミニコ会修道院の一部でした。堂内はバロック様式です。1968年4月2日から3日にかけての夜に大火がおこって全焼しましたが、美術品は付近の歓楽街から駆けつけた娼婦たちの働きにより難を逃れました。完全に修復された堂内には、ルーベンス、ファン・ダイク、ヨルダーンス、フランク、デ・ヴォス、フェルブルッヘンらのバロック絵画作品50点以上や彫像200点以上があります。
■聖アウグスティヌス教会Sint-Augustinuskerk
1615年から1618にかけて建造された教会で、現在は閉鎖されています。アルブレヒト大公とイザベラ大公妃、ルーベンス、ファン・ダイク、ヨルダーンスのすべてが描かれた祭壇画、ミヒール・ファン・デル・フォートの説教壇、フェルブルッヘンが装飾したパイプオルガンがありますが、その他の収蔵美術品は現在王立美術館に展示されています。