Tommyの冒険4.大学を卒業したら地元企業に就職しろ!

4.大学を卒業したら地元企業に就職しろ!

東京から帰郷して、父も母も何も言わず優しく
迎えてくれました。
何も言われないのが余計心苦しくて家にいることが
できませんでした。
そんなとき父から「就職は、地元の企業に入りなさい」
といわれ推薦された九州の大手企業数社の中から
選びなさいと指示を受け、「この中で行きたい
ところがあれば早く相談するように」と言われました。
そのままほっといたら数日後、父が明日中原の叔父さんに
就職の件で相談しているから挨拶に行くように言われ
叔父宅に行くと、「就職は、九州ガスに入りなさい」との
紹介とも指示ともとれる案内を受けました!
叔父は、地元数社の大企業の重役を兼ね、ほかにも多くの
役職を兼ねている地元財界の重鎮でした。
一か月後、入社試験があり最終面接日が近づいてきた頃、
また叔父から呼び出しがあり、「今年は、縁故の枠が
少ないが、何とか入れてやる。」と念を押して
言われました。当時は、縁故推薦が幅を利かせていた
時代です。私自身、どうも成績が良くなかったのだろうと
思いながら、叔父から「無理して採用してあげた」と
いわれたくもないので、面接当日は、本社玄関まで
行きましたが 面接会場にはいかず私なりに考えた末に
帰宅しました。
もちろん結果は、見えていて、叔父さんは烈火のごとく
お怒りでした。そして、私でなく父に怒っていました。
私が何か言おうとすると父が私を制止して
「息子の好きなようにさせたいと思います」と言って
くれました。
本家の長男として親族は、どうも私を取り込みたい
らしいと、この時思いました。
博多に帰ってきて2週間ほど過ぎたある日の地元新聞に
社員募集記事を発見!
たまたまその日の夜、中洲で長崎大学を出て九州の
大手小売企業で働いている高校時代の先輩と中州で遭遇!
職を探しているならうちに来い!今、新入社員を募集して
いる。うちの会社は、これからもっと伸びる!
今や小売業では、全国3位の会社だ!
天下のダイエー、西武、そして弊社だ!
確かに地元の呉服屋が当時の高級デパートに対抗して
できた新興の大型ショッピングセンター、ビッグストア、
ス-パーマーケットとして脚光を浴びていた時代、
「価格廉価・優良商品販売」をモットーに庶民に
受け入れやすい言葉で市場展開している急成長企業でした。
試験会場は、500人ほどが受けに来ていてこの中から何人
採用されるのだろう…当時は、学生の希望職の中でも
人気度が上がって来ている業種の1つでした。
合格発表を待つ間、友人と2人で複数の就職受験を計画!
今では、考えられない話ですが、当時は、バブル最盛期、
どの企業も採用枠を増やし良い人材を求め採用試験を
する会社は、交通費や宿泊費を提供していました。
まず福岡、北九州、広島、大阪、名古屋、横浜、東京と
福岡~東京迄の企業の試験日を調べ、履歴書を送り、
自動車会社、薬品会社、ペイント会社、食品会社、
衣料会社、化粧品会社、保険会社など多岐にわたって
27社の試験を片っ端から受けました。
福岡から東京迄試験日を選択しながら東京を目指して
上京していくのですが東京が近づいてくると心が重く
なって来ました。東京からは、早く戻りたかった。
東京に着いた時には、懐に現金28万円ばかりのお金が
溜まっていました。
時代は、高度成長期。交通費や宿泊費を提供して
くれていた企業のみを選択して受験していたことで得た
金銭です。ところがこの試験期間の間に、合格通知が
福岡の自宅に届けられていたのです。
時々、自宅に公衆電話から電話をしていたので母から
合格通知の知らせを受け、帰りに面接を受けに行かなければ
ならないことになりました。               
東京の大手ペイント会社では、東京本社採用決定の為、
東京は絶対お断りを要望し福岡を希望。
名古屋の「東洋自動車」は、総務または、企画を
希望していたのに営業職を1年間経験してからと指示を
受けたのでお断り、薬品会社も営業といわれお断り。

当時の大卒の初任給は3万円位だったと記憶しています。

京都に着くころには25万円くらい残っていたので友人と
2人で京都で最後に遊んで帰ろうということになり
嵐山の嵐亭に…
当時嵐亭は、商社の外国人接待用に使われているほど
有名な一流の料亭で大評判でした。
 
一度思い出に体験してみようということになり、早速
電話で予約。
嵐亭に着くと大きな門構えがあり中に入ると茶室を通り
本殿の大広間に案内されました。
あまりの豪華さにびっくり。横山大観風の松の絵が襖に
描いてあり、調度品も高価なものばかり。
椅子は明治の元勲が愛用していたとか。まさにお殿様の
お屋敷に来た気分でした。
電話で予約していったのですが、お店の人も我々が学生と
分かり、追い返すわけにもいかず、また予約で舞妓さんを
頼んでいたので三味線方、舞妓さん、芸子さんの3人で
三味線と踊りと楽しい会話と美味しい鼈料理を学生の分際で
堪能しました。
 写真イメージ
翌日、お酒と鼈料理代と宿泊代でお金は、すべて無く
なってしまい列車のチケットだけが残りました。
電話を掛ける金も弁当を買う金もない無一文でした。
とりあえず博多へ戻ることだけを考えて列車を乗り
継いで帰ってきました。
早く就職を決めなければ…
 
つづく
この物語小説は、史実を基にしたフィクションです。
次号は、親の勧めをけって先輩が紹介してくれた
最先端の小売業で働く!
※この小説は、思いついたときにしか書いていませんので
ご了承ください。また、お問い合わせ/ご連絡は、
個人メール迄ご連絡ください。
E-mail: r.tominaga@kecc.co.jp