NO.96.ベラスケスの作品「宮廷の侍女達」
スペイン国王フェリッペ4世の宮廷画家『ディエゴ・ベラスケス』の作品をウイーンに行く度に美術史博物館を訪問する。
ここには3歳~8歳までの3枚のマルガリータがかけられている。この作品を見るために訪問しているといっても良い。
原因は何故ここにこの絵はあるの…から始まった。彼が61歳で死ぬまでにの9年間の間に何枚ものマルガリータを描いている。彼の最高傑作である「宮廷の侍女達」のなかに自分自身を描きこんでいるが、画面中央の彼女は5歳位でむずがよっている王女を次女たちがなだめすかしている有名な絵である。後ろの鏡にフェリッペ4世夫妻が映りベラスケスが国王夫妻の肖像画を描いている図で彼女のかわいらしいふくれっつらは絵を引き締めていて観客に感動を与えてくれる。
何故、ウイーンに3枚もあるのかといえば、答えは『見合い写真として送られた」から。
写真が無かった時代、ウイーン神聖ローマ帝国皇帝レオポルド1世に贈られた見合い写真のこの絵は、彼の気に入り、互いに顔をみることなく11歳のときに正式に婚約、15歳で結婚する。
2・3歳の頃の薔薇色の服を着たマルガリータ、5歳の頃の白い服の王女、8歳の頃の青い服の王女で成長の過程がわかり、気品がありしっかりと大人びた顔立ちをしている。当時の結婚のお興し入れは、バルセロナから海路でイタリアに行きミラノからアルプスを越えて7ヶ月もかかっている。結婚式の祝典は3ヶ月続いたとある。
この結婚式のとき初めて馬が音楽に合わせて「馬のバレー」が紹介されたとスペイン乗馬学校の解説書に書かれている。彼女の性格は明るく魅力的で夫婦仲が良かったが、子供に恵まれず早産や死産の連続で無事成長したのは、娘のマリア・アントニアだけであっった。彼女と娘の絵がシュテファン大聖堂の近くのフランチェスカ教会の祭壇に飾られている。
娘のマリアアントニアは、薔薇色の服の王女そっくりでありマルガリータは母親としての優しい微笑を浮かべている。絵は、画家マナゲッタが描いた。
この絵が描かれた翌年、彼女は気管支炎を患い22歳の若さでなくなっている。
遺体は、カプチン教会地下の皇帝の墓所に安置されしきたりに従って心臓は、アウグススチン教会に、内臓は、シュテファン大聖堂に安置されている。
マルガリータの作品の中で「宮廷の侍女達」は、後ろの戸口に佇む人物からベラスケスの画布の前にいるはずの国王夫妻までの構図の素晴らしさ、人物配置の見事さ、同時に宮廷の慰み者だった障害者達や犬まで含めて人間味豊かに描かれ、完成された色彩でまとめられているこの作品を是非見ていただきたい。
ちなみにベラスケスは、当時としては身分制が厳しかった時代に貴族の仲間入りをしている。芸術家の社会的地位が向上するのはバロック時代からでこの時代は画家は職人であり大変な出世といえる。
機会があれば、ウイーンの美術史博物館見学をお薦めする。
■ ディエゴ・ベラスケス Diego Velázquez 1599-1660
17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家。セビーリャでパチェーコに師事した後、1623年国王フェリペ4世付の画家となり、以後生涯の大半を宮廷画家として首都マドリッドで過ごす。1628年から続いたルーベンスとの交流や、1629~1631年、1649~1650年と2度に渡ったイタリア旅行は画家の作品形成に大きく影響し、それまでの無骨な写実描写と厳しい明暗対比から古典主義と空間表現を取り入れ、 視覚効果を重要視したスペイン絵画独自の写実主義的陰影法を発展させた。またベラスケスは、『ラス・メニーナス(女官たち)』に代表されるよう、国王一家を始め、多くの宮廷人、知識人を描いた肖像画家としても有名。没後、一時期、その評価は落ちていたが、19世紀の写実主義の台頭により再評価されるようになる。確実に帰属が判明している作品数は約120点、素描が数点残されているのみ