NO59. 魅惑のウイーン「200周年ハイドンイヤー」

ハイドンピアノ

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン Franz Josph Haydon 1732-1809

今回、オーストリアに行っての新発見がハプスブルク家が育んだ世界最高水準の音楽風土。手厚い音楽保護政策は16世紀初頭宮廷音楽団から続きマリーテレジアの冶世には、
ウイーン古典派が開花。
オペラやミサ曲からより器楽合奏的な交響曲へと主流が広がりハイドン、モーツアルト、ヴェートーベェン等の作曲家が活躍。その後19世紀にはシューベルトが登場しサロンで楽曲を披露するようになる。
庶民に音楽を広めたヨハンシュトラウス親子、ワルツやオペレッタと言うウイーン独特の音楽の世界を確立していった。
その中でもウイーン古典派音楽を確立したフランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、1732年
3/31にウイーンに生まれ、幼少期シュテファン寺院の少年聖楽隊(現ウイーン少年合唱団)で活躍。20代終わりから約30年間ハンガリーの名門エスタハージー家の宮廷楽士長を勤めた後、ウイーンに邸宅を購入しウイーンを活動の場とした。
ハイドンハウス来年は、ハイドン200年祭が計画されている。ウイーン市民は彼の追悼式に友情を交わしていたモーツアルトのレクエイムが演奏された。交響曲の父と呼ばれるウイーン市内には、彼の家が博物館になっている。
この博物館は、お手頃ショッピングストリートマリアフィーバー通りに近く、館内は生前使っていたピアノや弦楽4重奏曲の譜面、そしてデスマスクなどが展示されている。
2009年ハイドン祭になる前の見学をお薦めする。
ハイドンハウス内
ハイドン像