NO43.ゴッッホとプロバンス
1888年2月21日から約1年3ヶ月ゴッホはアルルに滞在した。彼が自分のはかばかしくない健康状態を押してパリから南仏に出てきたのには、輝くような空と生き生きした色彩に満ちた自然の題材を求めたばかりでなく同時に自分の健康も取り戻せるのではないかと考えていたようだ。弟テオに書いている手紙の中で「南仏に残るわけを、日本の絵を愛しその影響を受け亦、印象派の画家達が影響を受けている日本へ行きたいが…、つまり行けないなら日本につながる南仏へ行かないわけには行かぬ。芸術の未来は何といっても南仏に有ると思っている」と述べている。プロバンスの春は、ちらほらと里に桜が咲き何となく日本の春を思わせる。
12月24日、ゴーギャンとの激烈な論争の末ゴッホは、発作を起こし自分の耳たぶを切る。それからも製作を続けているが、やがて発作が激しくなり1889年5月8日から1年間サンレミの精神病院に入院する。
彼がアルル滞在中に製作した油絵は、400点にのぼり数々の名作のうち「ひまわり、跳ね橋、花吹ける果樹園、耳に包帯を巻く自画像などが有る。
サンレミでは、幻覚や、発作に悩まさせながら「糸杉」等40点を描いている。
ちなみに春先のプロバンスは春のカーニバルで明けるこの時期の旅をお薦めしたい。