NO.124.ボーヌ・ロマネコンティ「ポンパドールと張り合って手に入れたブドウ畑」

ディジョンの 町から南へ1kmほど行き、国道47号線をクロ・ド・ヴァージュの城の北側で西に
折れて石垣に沿って南に曲がると丘のふもとの田舎道が、「特級ワイン街道」である。
このボーヌ・ロマネ村 こそ、あの有名な「ロマネ・コンティ」のふるさとである。
ロマネ・コンティの誕生には、こんな逸話がある。

ルイ15世の寵姫「ポンパドゥール公爵夫人」は、王に熱愛されていることをいいことに
いろいろ鼻持ちならぬ事をやって人々の顰蹙(ひんしゅく)をかっていた。
あるとき王妃のまねをして、自分の部屋から椅子を全部とりはらってしまったのだ。
お陰で部屋に入ってきた客は、ずっと立ちっぱなしでいなければならなかった。
たかが寵姫風情に何でこんな仕打ちを受けるのか・・・・
皆、頭にきながらも面と向かってくってかかるものはいなかった。
そんな時、王の寵臣の1人コンティ公がポンパドール公爵夫人のベッドにどっかり腰を落とし、
「これは、なかなかの椅子ですな」と皮肉った。
これが宣戦布告となりこのときから2人の中が決裂!

そんな時、ボーヌ・ロマネ村のブドウ畑が売りに出された。
ポンパドール公爵夫人がこの畑に目を付けている事を知ったコンティ公は、鼻柱をへし折って
やる良い機会とばかり、散々張り合った末、ついにこの畑を手に入れた。
意地でもこの競争に勝ちたいと思ったコンティ公は、この畑1つに8万ルーブルの大金を投じ、
この極上のブドウ畑に自分の名をつけ指標代わりに石の十字架を立て「ブルゴニューの
首飾りの中心の真珠」と呼ばせた。
その後、ロマネ・コンティの畑はフランス革命で国に没収されたが、その後回りまわって今の
当主の祖先であるヴィレーヌ氏が、当時の価格で33万フラン金貨で買い取ったのだそうだ。
現在、ロマネ・コンティの生産量は年にに僅か700ケース。
優秀な年のロマネ・コンティは、洗練された味わいであるがこんな歴史を紐解いて味わって
欲しいものである。
その後、ルイ15世の不興をかってボルドーに遠ざけられていた宰相リシュリューが名誉回復の
ためポンパドール夫人を通じて「はるかに色が濃くボデイが厚い複雑なワイン」をルイ15世に
飲ませ絶賛を博したのが「ボルドーワイン」である。宮廷では、ポンパドール公爵夫人は
「ロマネコンティの恨み」を晴らし、ボルドーワインの人気も上がり、 リシュリューも
名誉回復が出来たそうです。
ボジョレーヌーボの解禁も、もうすぐ・・・
今宵は、ワイン談義で美味しいワインを楽しんでみませんか?


ちなみに叔父のコンデ公アンリ2世と妻シャルロット=マルグリット・ド・モンモランシー
アンリ4世の愛妾)の長男)は城シャンティ城の領主でもあり城の中の
コンデ美術館は是非とも訪れて欲しい。
自然とお城が一体化してフランスでも美しい城の1つでもある。