No.235.Tommy's絵画美術館「裸のマハ」と「着衣のマハ」

No.235.Tommy's絵画美術館「裸のマハ」と「着衣のマハ」

■「裸のマハ」
(La Maja Desude) 1798-1800年頃 97×190cm 
油彩・画布 プラド美術館(マドリッド)
近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤ屈指の代表作『裸のマハ』。
(※マハとは、スペイン語で<小粋な女>を意味する)を描いた作品。
バロック絵画の巨匠 ディエゴ・ベラスケスの『鏡のヴィーナス』と共に
厳格なカトリック国家で、神話画を含む如何なる作品であれ裸体表現に
極めて厳しかったフェリペ4世統治下のスペインにおいて制作された。
非常に希少な裸婦像作品であるが、ゴヤは本作を描いた為に、制作から
15年近く経過した1815年に異端審問所に召還されている。
モデルについては古くから論争が絶えず、諸説唱えられているが、
現在ではゴヤと深い関係にあったとも推測されるアルバ公爵夫人マリア・
デル・ピラール・カイェタナとする説画家の重要なパトロンのひとり
宰相ゴドイの愛人ペピータとする説 ゴヤの友人で神父バビが寵愛していた
女性とする説(ゴヤの孫マリアーノが証言) などが有力視されている。
注目すべき点は、その類稀な官能性にある。 ベラスケスの『鏡のヴィーナス』
が理想化された裸体表現の美とするならば、 自然主義的な観点による
豊潤で濃密な裸婦表現の美と位置付けられ、 特に横たわるマハの丸みを帯びた
女性的肉体の曲線美や、単純ながら 心地よい緩やかなリズムを刻む画面
(の対角線上)への配置などはゴヤの 洗練された美への探究心と創造力を
感じさせる。また挑発的に観る者と 視線を交わらせる独特の表情や、
赤みを帯びた頬、そして計算された 光源によって柔らかく輝きを帯びた
肢体の描写などは、本作がスペイン 絵画屈指の裸婦作品としての
存在感を十二分に示す最も顕著な要因の ひとつである。

■ 着衣のマハ
(La Maja Vestide) 1798-1803年頃 
95×190cm 油彩・画布 プラド美術館(マドリッド)
近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤが手がけた数多くの作品の 中でも
最も有名な作品のひとつ『着衣のマハ』。本作は画家が≪マハ≫
(※スペイン語で<小粋な女>を意味する)を描いた作品で、 『
裸のマハ』を制作した翌年以降(1800-1803年頃?)に 手がけられたと
推測されている。本作と『裸のマハ』は画家の重要な パトロンのひとりで、
権力を手にしてから皇太子や民衆を始め様々な 方面から非難を浴びせられた
宰相ゴドイが所有しており、その為、 一般的にはこの2作品は宰相ゴドイが
制作を依頼したものだとする 説が採用されている。『裸のマハ』と
同様の姿勢・構図で描かれ 『裸のマハ』との最も顕著な差異は、
マハは当時 スペイン国内の貴婦人が愛用し流行していた異国情緒に溢れた
トルコ風の衣服に身を包み、化粧も整えている点である。
これらの描写はゴヤ特有のやや大ぶりな筆触によって繊細ながら
表情豊かに表現されているほか、色彩においても黒色、金色、緑色、
紅色、茶色、白色などを用いた独特の配色によってトルコ風の衣服の
雰囲気や質感を見事に表現している。 モデルについては古くから
アルバ公爵夫人マリア・デル・ ピラール・カイェタナとする説が
唱えられているが、画家が残した アルバ公爵夫人の素描や肖像画の
顔と比較し、あまりに異なる点が あるため否定的な意見を述べる
研究者も少なくなく、現在では 宰相ゴドイの愛人ペピータとする
説なども有力視されている。 なお本作と『裸のマハ』は宰相ゴドイの
手からカサ・アルマセン・ デ・クリスターレス、王立サン・
フェルナンド美術アカデミーを 経てマドリッドのプラド美術館へと
移された。