NO69.日本人があまり知らない北イタリアの小都市を巡る・・・
日本人があまり知らない北イタリアの小都市を巡る・・・
皆さんが知っているフィレンツェを中心とした北イタリアではなく、イタリア人が
言うところの本当の北イタリア(スイス・オーストリア国境沿)を紹介しよう!
●グラッパ山頂から北方に広がるプレアルプス山脈の険しく透徹した美しさを見るにつけ、
この地が第1次大戦で血で血を洗った戦場の後であるという実感はほとんどわかない。
イタリアの防衛戦線は、この地を死守することができずオーストリア・ドイツ軍の進撃は
アーネストへミングウエイの「武器よさらば」(1929年)の背景ともなっている。
彼は,従軍赤十字要員としてこの戦いに活躍し、この全戦をモデルにこの地に住み
文筆活動をしている。
北側には、カドーレと呼ばれるドロミテ山塊が見られこの地方は、映画「クリフハンガー」の
舞台になった所。
その裾野の肥沃な土地には、桑・オリーブ・果樹・葡萄畑が広がりアディジョ川のデルタ
地帯には、荒涼とした壮大な風景が広がり縄上に続く沿岸洲によって海から隔たれた潟が
連なる。ヴェネチアの町は、この潟の水底に打たれた杭を土台として建設された。
観光ずれした水の都ヴェネツィアを通り過ぎベネトンの街であるトレビソの旧市街は
小さな小川に囲まれた小島の朝市がお薦めである。この地方の特産品・海産物を
昼近くまで販売していてこの地方の生活を垣間見ることができる。町の中は、
ストックハウスが多く通常価格の30-50%引きで有名ブランド品が購入できる。
ローマやミラノ等の都会の高級ブランド店での在庫不足、品切れ状態が嘘みたいである。
亦、スキー用品のメッカでスキー靴やシューズ等品数も豊富で安く手に入る。
このトレビソからウディネを通ってトリエステにいたる道は古代ローマ帝国が東西に分離
する時代より侵略を繰り返しながら東洋との商業を営んできた。
DC181年ローマ帝国アウグステウスは、「アクレイア」をローマの進軍基地として
建設しビザンチン教会の長老座を置きここに眠る4世紀のモザイクの床は、西欧で現存する
最大かつ豪華なもので地下礼拝堂は9世紀のカロリング王朝時代のロマネスク様式の
フレスコ画やローマ時代遺跡を見学するに値する。
車で走ること1時間程でこじんまりした街道が丘陵の中に佇む「アソロ」の町は、かって
キプロスの皇女カテリーナ・コルナーロの縁のお城がある。
キプロス王ヤコブ2世に嫁ぎ王の死後、ベネチアの干渉を受けアソロに退きこの地で
当時名高い文芸サロンを開設している。
城は現在修復中で中を見ることはできないがそのサロンの様子は、愛をテーマに恋愛論が
講じられている。
近くには、ナポレオンのお抱えアーチスト彫刻家カノーバーの生まれた村ポッサーニョまでの
ドライブコースは景色が素晴らしくハネムーナーにお薦めである。
ロマンテイックなムードの中で英国エリザベス女王の母君「マザークイーン」はこの地を
愛し常宿.チプリアー二ビラホテル(5ツ星)からの展望は素晴らしいの一言!
●フリウリ・ヴェネチア・ジュリア州の州都ウディネは、中世アクレイア大司教区の首都と
して栄えた町である、
1976年のウリフリ地方大地震で大きな被害を受けたが、この町の魅力は、ゴシック、
ルネッサンス様式の記念建造物(14世紀のドゥーモ教会、16世紀の大司教館「キリスト降磔」、
高台のカストーロラファエロの家等)や人目の付かない広場、アーケイドに縁取られた狭い
通りに風情が有る。
この町の高級足付家具は、イタリアの60%を生産している。
この町から来るまで30分のところにコロドイッポが有る。
近くにはナポレオンがヴェネチア共和国を制し滞在した「ビラ・マニン」は、マニン公とその
家族の館として現在も残りナポレオンの遺品も多く残っている。
特に彼のベッドとフロは彼がいかに背が低かったかを物語っている。
近くにはナポレオン縁のレストランがあり、ツケで食事をした請求書やヴェネツィア共和国を
オーストリアに売り渡したヴェニス売買契約書なども展示されている。
何故、ナポレオンはこの地に長く滞在したのだろうか?と考えながら甘口の白ワイン
「べルトウツォ」を飲んで判った!「この地は美男美女で有名しかもワインが旨い!」
ビラニマンのなかにあるレストランには、懐かしいボビーソロ(頬にかかる涙)やサッカー
戦士のジーコなどイタリアの芸能人が良く来るそうだ!
もう一つは、夏の音楽祭は、宮殿の野外は若者の人気スポットらしい!
近隣には、人間チェスの街「マロスチカ」や九角形の星型都市「パルマノーバ」、
山岳地方国境の町シーザー軍陣地の「チビダレ」はワイン街道としても有名で
手作りの宝石はゴリツア地方の名産品でもあり ルビー色の赤ワイン「フラゴリーノ」は
あまりに有名である!
ウディネから一直線に海岸線に向かって走ると潟が連なる風景が見えてきたら
リニアーノやグラートの海岸はイタリア人だけのリゾートエリア。
リニアーノは、オーストラリアのゴールドコーストそのままでゴルフ場を併した
5ツ星ホテルが並びリニアーノ銀座は一流高級店がズラリと並ぶ。
グラートはベニスの小型版でラグーンも多くまさにアランドロンの「太陽が一杯の世界」
ヨットが並走し、漁港としての面影が残りここの海鮮料理は、新鮮で保証つきの味!
まず、日本人に逢うことはない!
旅のハイライトは、「トリエステ」
古代ローマ時代からの歴史を持つこの町は山の斜面から海に広がる美しい港町。
東ローマ帝国の国境を守る要塞として活発な商業都市として発達したが中世にヴェネチアに
併合されて後、オーストリアの保護の下(1382年)15世紀まで自由都市として
東方社会の本拠地として繁栄の時期を向かえ2度の大戦中は亡命者の避難場所として
今世紀初頭は文芸活動の地として、亦スロベニアとの国境としても知られている。
アドリア海に面した下町の統一広場はウイーン街道を連想させバロック・ネオ・クラッシック
建築が完全な姿で並ぶ、オペラ劇場、サンジェスト教会や海岸線北端に有るオーストリア
大公子マクシミリアン(メキシコ皇帝)の美しい白亜の庭園ミラマーレ城は
是非とも見学して欲しい!
できればヴィラに宿泊し少人数の旅をお薦めする。
詳しくは。TOMMYまでお問い合わせを…